一般社団法人日本POPサミット協会
会長 安達 昌人
「古代DNA―日本人のきた道」(国立科学博物館・特別展)を観ました。
日本人のルーツは、きわめて関心の高い課題ですが、同じく強い関心を抱く人は数多く、かなりの入館者でした。
これまでは、旧石器時代に東南アジアから来た人類が縄文人となり、その後に北東アジアから渡来した弥生人と混合して、現代の日本人が出来上がったというのが定説だったと言えます。
しかし近年、急速に発展したゲノム(全遺伝情報=人間が持つDNAの全体)の研究により、古代人の骨に残るDNAを解読することで、縄文人・弥生人が複雑な足取りをたどり、複数の方面から来た多様な人類であることが分かってきたのです。
今回の特別展は、そうした古代人の骨に残る遺伝子情報から、日本人の成り立ちを探り、CG映像を交えて展示し、考古学の視点でな暮らし情報からも実証するとともに、人類と関わって来たイヌ・ネコの渡来の歴史まで、きわめてバラエティに富んだ展覧会でした。
展示資料によれば、20万~30万年前にアフリカで誕生したホモサピエンス(ヒト)は、5万~6万年前に世界各地に拡散します。東南アジアに着いた人類は、中国内部を北上する集団と、海岸線を北上する集団に分かれて、日本列島に到来しています。
約2万7000年前に、沖縄・石垣島の白保遺跡で見つかった男性の人骨が、DNAの分析で、縄文人と共通するゲノムを持っていることが実証され、「白保人」と呼ばれるこの男性が「最初の日本人」として、会場に展示されていました。復元された白保人の顔は、現代の沖縄の人の顔とそっくりです。
縄文時代(1万6000年前~2900前)には、中国大陸の南部から琉球列島経由で、また朝鮮半島経由で、さらにサハリン・北海道経由でと、複数経路で入って来た集団が「縄文人」となり、今の本土の日本人は縄文人のDNAを1~2割、沖縄・奄美の人は3割、アイヌ民族は7割を持っているそうです。
会場には、北海道礼文島・船泊遺跡の縄文人女性の頭骨(3600年ほど前)と、復元した顔が展示されていました。また、縄文時代の土偶、土器、山間部や海辺での生活用具も数多く観覧できました。
次の弥生時代(2900年前~1750年前)を生きた弥生人は、ゲノム分析によると、中国・西遼河の雑穀農耕民が朝鮮半島に流入し、稲作農耕民と合流して、日本に渡来したとのこと。 単に、弥生人=稲作農耕民ではないようです。鳥取県青谷上寺地遺跡で見つかった約1800年前の男性の復元像が展示されていました。今の日本人に近いとのことです。
その後のヤマト政権が誕生した古墳時代にも、渡来人は継続し、鉄器の生産や馬の飼育などの技術が伝わります。当時の人々の姿を示す埴輪をはじめ、馬型埴輪などの展示が目を惹きました。
イヌは1万年ほど前の縄文時代に渡来し、復元模型が展示されていました。ネコは弥生時代に持ち込まれたようです。国立科学博物館のコレクションの珍品とされる古代エジプトのネコのミイラも展示されていました。
以上、会期終了までに、今一度訪れたい興味尽きない特別展です。《~6月15日(日)》
ところで、日本人の起源と言えば、子供の頃に、安田徳太郎という人の「日本人の歴史」(光文社カッパブックス)がベストセラーになり、自分も夢中になって読み耽りました。
ただし、本来は医者である著者の本は、根拠の薄い門外漢の書として、歴史学会から批判され、今は評価も低いようです。
しかし、日本人の起源について、一般人の関心を高める端緒となったことは確かです。
「まぼろしの邪馬台国」の宮崎康平と同じように、こうしたブームを引き起こすきっかけとなるのは、いつでも先駆的な素人の研究者かもしれません。